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東日本大震災・陸前高田市へ骨伝導で聞こえをお届け 【あれから4年】

被災地に骨伝導の聞こえをお届け

2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、太平洋の海底を震源とする巨大地震が発生しました。
未曾有の大惨事をおこした東日本大震災です。

発生時点において、日本周辺における観測史上最大の地震でした。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7でした。さらにこの地震は、波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上るほどの巨大な津波が発生したことです。被害地域も東北地方に限らず関東地方の太平洋沿岸部にまで及び、各地で壊滅的な被害が発生したことはまだ記憶に新しいといえます。

そんな大津波によって甚大な被害を受けた地域の一つに陸前海岸北部の中核を成す陸前高田市があります。
隣の大船渡市とともに旧・陸前国気仙郡になります。
東日本大震災による大津波は、市中心部を完全に壊滅させました。市庁舎も含め市の全世帯中の7割以上が被害を受けたほどの規模です。市内のJR東日本の5駅のうち4駅までもが駅舎の流失を招いたほどでした。当然、線路も大きな被害を受けました。具体的にはJR大船渡線の竹駒駅・陸前高田駅・脇ノ沢駅・小友駅です。

GPSによる国土地理院の調査が行われ、この震災により岩手県・宮城県・福島県の広範な沿岸地域において、著しい地盤沈下があったことが明らかとなりました。最大は牡鹿半島の-120cmでしたが、陸前高田市も小友町西の坊が-84cmという驚くべき数値が出ています。
リアス式海岸が続く三陸海岸南部に位置する陸前高田市は、西の唐桑半島と東の広田半島に挟まれた広田湾の北奥に小さな平野が広がっています。この広田湾に気仙川が流れ込み、川が運ぶ土砂で形成された砂浜は高田松原と呼ばれていました。テレビでも松原が消失し、1本だけ残ったことが報道されています。この高田松原の北側が市の中心部で、リアス式海岸が続く沿岸部の中では広い平野部といえます。

大津波により平野部の町は完全に消えました。
平野部が広いということは他の町のように、すぐに山が迫っているわけではなく、避難場所までの道のりが長いことを意味します。ここに大きな悲劇があったのです。

米軍採用・特許保有の骨伝導メーカーであるテムコジャパンと、「骨で聴く.com」運営スタッフは未曾有の大惨事となった陸前高田市へ、震災から約2ヶ月後に向かいました。

その当時、市街地には重機が入り、瓦礫の撤去が続いていました。津波によって消失した町が、広大な遺跡のような光景となっていました。まさに衝撃的な光景でした。ここに都市があったことが想像できないような状態でした。
しかし少し内陸部に入ると、震災から2ヶ月が経過した当時でもまだまだ瓦礫の山を目にしました。斜面に沿って、被災した家と免れた家との境界線があるのも複雑な気持ちで見たことを思い出します。その見えない境界線に瓦礫が多く堆積しているのが印象的でした。ボランティアの方がやれることも限度があり、まだまだ復興の光は射していない、というのがそのときの印象です。

人口約23,000人の陸前高田市は、海岸部だけでなく、内陸にかけて約10キロほどにわたって泥水に覆われていました。内湾の市街地が、一気に押し寄せた津波によって川を駆け上り、激しい勢いで引いて行った様子は、ニュースの映像で見るより、その生々しい被害現場を目にしたほうがはるかに衝撃的でした。家々は潰れ、残った民家は高台に残るだけの状況でした。どこからが街でどかまでが海なのか境界線すら失われています。瓦礫とととも残った鉄筋のビルは汚水の上に立つ島のようでした。

瓦礫の中に埋まる生活の跡が、生々しく展開する光景の中、ボランティア活動で汗を流しました。
被災された方々との交流は、高田第一中学校の避難所で、ほんのわずかな時間だけでしたが、震災での被災に負けず、強い心を持つ方々に心を打たれる次第でした。

この壊滅的被害の陸前高田市に骨伝導音声増幅器のきくちゃんを10セット寄贈しました。
避難所で生活される高齢の方のために、社会福祉協議会・ボランティアセンターを経由して贈られました。失われた町に、少しでも「聞え」の問題が解決できることを願うしかありませんでした。骨伝導の手軽さは、被災地での活用に適しています。このとき実現できた被災者への骨伝導プレゼントは、難聴傾向の高齢者だけでなく、大声でしか呼び掛けられない高齢者の家族に、少しでもお役立て頂ければという思いからでした。

あれから4年以上が経過しました。
陸前高田市の人口は約19,000人程度にまで減少しています。陸前高田駅も復活しています。陸前高田市の復興整備事業として消防防災センターやコミュニティホールなどの造成が進められ、その区域内の土地を同市から借り受けて整備され、新たな町の玄関口である新駅が復活したのです。

骨伝導音声増幅器きくちゃんについては、その後、当時のテムコジャパン国内営業担当だったY氏へ、使い方のアドバイスや問い合わせ等が何件か寄せられました。しかしY氏も弊社スタッフも、なかなか再訪することができていません。ただ、絶えず壮絶な被災地の現場だけは忘れることがありません。

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