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世界遺産・富岡製紙場と米軍採用の骨伝導特許技術

日本初の本格的な器械製糸の工場で、2014年6月の第38回世界遺産委員会で正式に登録された富岡製紙場。

江戸時代末期に開国した日本では生糸が主要な輸出品となっていました。
1862年(文久2年)当時、ヨーロッパでは日本からの輸出品の86%が生糸と蚕種で占められていました。
そこまでの占有率になったことは急激な需要の増大を意味し、日本では粗製濫造を招くことに繋がってしまいました。その結果、日本の生糸の国際的評価は低落していくことになりました。
さらに、イタリアの製糸業が回復し、日本製生糸の価格は1868年から下落に転じてしまったのです。
そのため官営の器械製糸工場建設が計画されるようになりました。

その計画から誕生したのが富岡製糸場で、1872年にフランスの技術を導入して設立された官営模範工場です。
当時の日本は後進国でありながら、器械製糸工場としては世界最大級の規模を有していました。さらに日本の気候にも配慮した器械は後続の製糸工場にも取り入れられるようになりました。そのため富岡製紙場で働いていた工女たちは各地で技術を伝えることに貢献することになりました。

太平洋戦争でアメリカ軍の空襲の被害を受けずに済んこと、また三井家に払い下げられたのち、原合名会社、片倉製糸紡績会社(現片倉工業)と変遷しても、最後の片倉工業が保存に尽力したことにより、開業当初の木骨レンガ造の建造物群が良好な状態で現代まで残っているのは貴重といえます。

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日本が先進国に向けて邁進していた時代の象徴であり、世界最先端の技術を日本流にアレンジしていく先駆けとなったともいえます。

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ところで、現在の軍事産業の中で、通信技術に革命的な進歩をおこしたのは骨伝導技術です。
その中でも米軍に採用された骨伝導技術が日本の民間会社の特許であることはあまり知られていません。

富岡製糸場に残る日本の誇りと共通する姿を骨伝導技術と重ね合わせるのは大げさかもしれませんが、あえてそんなことをしたくなる隠れたエネルギーがありそうです。

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