Journey and Bone Conduction Product

山陰と山梨 ふたつの湯村温泉 紀行ライターの骨伝導旅情

山陰と山梨 ふたつの湯村温泉

骨伝導機器とともに旅した紀行ライターの記録が、「骨で聴く異世界」「骨伝導情報館」「弘法大師伝説をたずねて(弘法倶楽部)」に掲載されています。ここではそれを再編集してご紹介致します。

山陰湯村温泉 「夢千代日記」の湯を骨伝導で体験

湯村温泉へのバス
湯村へは、浜村よりバスで約25分程、「夢千代日記」では、海が間近な印象で描かれていたが、実際にはかなり山峡に入っていく。国道9号線を岸田川に沿って福知山方面に南下し、峠を幾つか越えると三方を山に囲まれた谷間に湯村温泉が見えてくる。

バスの窓から景色を見ながら、自然と骨伝導音声増幅器「きくちゃん」を持つ手に力が入ってくる。時計を見ると、午後4時35分。ちょっと遅れ気味。やはりけっこう暗くなってきた。徐々に街に灯が入り始め、夜景への準備を始めているこの光景は四年前と同じだし、ドラマのメインテーマの最後に出てくる映像もこんな感じだった。先ほどの餘部のワクワクとは違い、なんとなくホッとしたような気持ち。

山陰湯村温泉01
バスは温泉街の周りをうかがいながら今日の宿寿荘の横のターミナルらしき所に着いた。ここが終点、湯村温泉。中心街からはやや離れているものの、バスから降りるとすぐに私の五感は荒湯からの湯けむりをキャッチした。
さっそく中心街に足を向ける。4年前とおんなじ。(※雑誌掲載時に4年ぶりの訪問であることもテーマのひとつでした)まずは周りをグルリ見渡す。春木川を挟んだ源泉の荒湯。川に架かる薬師橋。そして、橋のたもとの共同浴場「薬師湯」。今回の旅の冒頭”4年の月日をなめてはいけない”懸念が徐々に解け始めていくのを感じる。心体(からだ)に残っている以前の情景を浮かべながら散策を始めた。

山陰湯村温泉02
荒湯では相変わらず観光客に交じって、エプロン姿のおばちゃんが卵を茹でている。観光客も生卵を買って一緒になって茹でているのがなんとも楽しそうで微笑ましい。
荒湯は揺るぎない湯村温泉のイメージだが、温泉の規模自体は城崎のように巨大ではなく、荒湯を中心にした箱庭のような感じだ。周りを山で囲まれているので、さながら箱庭のような小さな国といったところ。この情景やイメージが「夢千代日記」の湯の里温泉になったのだろうか。

湯けむりをもうもうと吐き出す荒湯の源泉温度は98度。飲泉場で長柄びしゃくで源泉を汲んで茶碗に入れおもむろに飲もうとするがなお熱い。なんせ生卵ならものの15分くらいで茹で上がってしまうのだもの。
また熱いだけではない。ここの名物で「荒湯豆腐」というのがあるが、この熱湯に豆腐を入れて茹でると温泉成分の作用で絹ごし豆腐のようにきめ細かくなるという。長い歴史の中で、いわゆる温泉業だけではなく、人々の生活の中にも温泉の恩恵が生き続けているのは間違いない。
NHKの「ふだん着の温泉」ではないが、こういう地は本当に愛する者にはこれからも永劫愛され続けるだろうし、またそうであって欲しい。

こんな湯けむりの中の光景を耳だけでなく、骨伝導を使って聞いてみると、そこにはまさに生活そのものの音色になる。特段、骨伝導で「聴く」音が耳からの音声と変化しているわけではない。しかし荒湯の激しさとこの生活感が合成された音が、耳だけでなく骨を通してダイレクトに脳に伝わる感じ、これこそが何とも落ち着く気がする。

骨伝導きくちゃんへ

骨伝導「きくちゃん」の管理医療機器用もあるが、一般向けの音声増幅器タイプで、耳にかけるだけのヘッドセットがこの場面でのお薦めといえるだろう。両耳・両手をふさがずに堪能できる。

山陰湯村温泉03
荒湯から、春来川に沿ってやや南に行くと夢千代広場がある。その中心に吉永小百合をモデルにした「夢千代像」が立っている。この銅像の台座は世界平和を願って広島市から寄贈されたものだという。台座の真ん中には

        「祈 恒久平和」

とある。今の世界情勢を考えると胸が痛むが、かすかな微笑をたたえた夢千代像の表情は、餘部でみた(※雑誌掲載時には餘部から紀行がはじまりました)観音像の表情とだぶってみえた。
 NHKで放映された「夢千代日記」は、”ドラマ人間模様”というサブタイトルが付いていただけに、夢千代以外にも様々な”なにか”を内包したキャラクターがドラマを創っていた。

山陰湯村温泉04
自分の印象に強いのは特に後半ともいえる「新・夢千代日記」のほうだが、鈴木光枝演じる夢千代と同じく原爆症を抱え、夢千代の母親との友人だった「たま子」(夢千代は母親のお腹の中でピカドンに遭ったという設定)。
松田優作演じるボクシングで相手を殺してしまい過去から逃げ回り、夢千代から過去と戦うことを悟る「岡崎孝夫」。
あがた森魚演じる天涯孤独のストリップ小屋の「あんちゃん」(小屋内では、あがたの「最后のダンスステップ」が絶えず流れていた)。などなど。
いずれの登場人物も主人公と同じく”なにか”を背負い、またそれに必死で反発して生きているようにみえた。
秋吉久美子演じる夢千代と同僚の芸者「金魚」も印象が強かった。訳ありの他人の子供を育てながら、芸者の仕事で知り合った大会社のドラ息子とデキて、最終的には子供とも決別し男と心中してしまう。
ドラマに於ける女性の登場人物で「金魚」という役名は、他で私が知っている限りでは、小津安二郎監督作品「早春」に於ける岸恵子が思い出されるが、金魚というあだ名は
「金魚は見た目綺麗で可愛いが、同時に煮ても焼いても食えない。」
という皮肉めいた比喩から来ているそうだ。ただ実際は純心過ぎる程純心で、過ぎたところから、他人の運命をも巻き込んでしまう。秋吉久美子も岸恵子もそういう役どころを熱演していた。自分の周りにも思い当たる女(ひと)はいないかな?。ふとそんなことも考えてしまった。
いや、失敬。脱線。
思い浮かべる程に枚挙に暇がないが、4年前も周りの風景を見ながらこんな感じでドラマを思い出していたような気がする。

ちなみに骨伝導「きくちゃん」も、テレビに直接つなぐことができるので、イヤホンやヘッドホンを使う感覚で使用できる。耳の遠い高齢者には、補聴器を使うよりかなり敷居が低いといえる。敬老の日のプレゼントに最適なのはいうまでもないだろう。

山陰湯村温泉05
薬師湯に入ってみた。4年前は地元の人と浴衣姿の宿泊客が渾然としていたが、今回はほぼ地元の人だけ。まだ8時前にしては少ないなと思った。
宿が巨大化すると土産もの屋や娯楽施設が宿の中に納まってしまい、客はあまり外へ出なくなるとよく言われるが、やはりそうなのか? 一人勝ちみたいな風潮のある温泉地は、永い眼で視ると大概は衰退の道を歩んでいるが、湯村はそうであって欲しくないと切に思う。
薬師湯はいわゆる湯小屋ではなく、「湯村温泉会館薬師湯」が総称で、二階建ての建物で、一階が公衆浴場になっている。ひょうたん形の浴槽に熱い湯がはられている。ここも当たり前4年振り。湯は本当に熱い。寿荘(※この紀行での宿泊施設ですが、今回は割愛しています)の温度とは比較にならない。源泉に近い分98度に近いわけだ。同浴の人たちの会話からはドラマにも出てくるような、よもやま話が聞こえてくる。しばらくは眼を瞑りじっと浸り続けていたいと思った。

やはり湯村は名湯であった。いろいろな感慨が交錯はするものの、この熱い湯に同化していると、もういつの間にか”4年間の月日の懸念”は完全に解け去ってしまっていた。
次に全く同名の山梨県甲府市の湯村温泉を訪れよう。

山梨湯村温泉 「厄除地蔵尊祭り」前夜の湯を骨伝導で体験

山梨湯村温泉11
着いたらまず散策する、という習慣というか、自分が温泉行脚の中でつくってしまったヘンな性みたいなものには逆らえないようだ。
市街地の街道沿いにある、温泉入り口からしばらく歩いていると、街灯一つ一つにひらがなで『ゆむら』と書いてあるのが目に付き、温泉街の中心部に近づいて来ているのが分かる。
やがて温泉街を流れる小さな川のほとりに『歓迎、湯村温泉郷』と書かれた赤い石製の建て看板があり、この辺が中心街だと分かる。
その建て看板の横に川を跨ぐ小さな赤い橋が架かっており、その先には、ピンク色の古びた二階建て。スナックか何かであろう『赤い橋』という屋号が架かっている。

山梨湯村温泉12
道がやや狭くなったその先に共同浴場『鷲の湯』があり、一階が浴場、二階は『湯村温泉芸能センター』になっている。二階のほうは現在機能しているかどうかは定かではないが、おそらく旅芸人一座の公演などをやっていた(いる)のではなかろうか?
この夜の温泉街の雰囲気の中で、私は、山陰(兵庫県だが)の湯村温泉を思い出さないわけにはいかない。温泉名が同じで自分のなかでも何かと比較することが多かったのだが、あちらは夢千代日記ゆかりの温泉地として、夜は荒湯を中心に鮮やかにライトアップされるなど、観光温泉として非常に魅力的な整備がされていた。
ただその反面、夢千代日記の物語に描かれた温泉地のリアリズムに対するギャップを感じたのも事実である。
そして今こうして山梨の湯村温泉に佇んでいると、むしろ夢千代日記に描かれた温泉地のリアリズムと共通したものを、こちらの方に感じてしまっている。「山陰の湯村温泉も物語当時はこう言う感じだったんだろうな‥」、と。

山梨湯村温泉13
案内版を元に歩いていくと、どんどん温泉街入り口付近に戻っていき〝普通の街道〟が近づいてきた。そして最初に見た湯村温泉病院の向かいにユムラ銀星は建っていた。
鉄筋三階建の小ぢんまりした外観。もう5メートルほど先はバス停のある街道が走っているということもあるが、いわゆる温泉旅館というより、街中のビジネス旅館という雰囲気。ウーン‥宿の選択を誤ってしまったか‥。その時の正直な気持ちだった。

一応浴室は男女別にあるが、片方は機能していないようで、ひとつだけが使われている。(寂れた宿でよく見掛けるケースだが‥)3~4人入れるくらいの小さめの浴室に無色透明のきれいな湯が注がれる。

山梨湯村温泉14
下部の湯と似て、アルカリ性の柔らかい湯だ。ただ泉温は40~42度くらいで幾分熱く、下部のように、二槽に分けて入り分けるような習慣はないようだ。ただそれ以外に下部と大きく違う点としては、まず湯量がある程度確保されていると言う点が挙げられる。湯村温泉全体で源泉は12ヵ所あり、その湧出量は一分間に966リットルになる。まあ、岩手の須川温泉の6,000リットルや、草津の36,000リットル!ほどではないが、温泉地の規模と照らし合わせると、バブルな施設を造らずに誠実に源泉を配湯するとすれば十分な湯量であろう。
ユムラ銀星の湯は浴槽自体は小さいが素晴しい湯であった。これでどこもかしこもが、とんでもなく大規模な施設を造ったりしたらまた変わってしまうかもしれない。ただ、温泉地を維持し、また発展させていくには、「せざるをえない」こともあり得るかもしれないであろう。そしてその辺の突っ込んだ話はこの後、この宿の女将さんからじっくり聞くことになる。そのときに骨伝導きくちゃんも使うことにする。

山梨湯村温泉15
湯村は歴史こそ古く、山梨県では数少ない弘法大師伝説に彩られた温泉地である。ただ、下部や増富のように風光明媚な自然景観があるわけではない。実際私もバス停に降り立った時、「ここが温泉?」(失礼!)と思ったほどだ。
しかも、(ここが大事なのだが)湯治場としての位置付けが非常に中途半端な状況であることは否めない。その辺のことを女将さんに聞くと、やはり湯村も以前は湯治温泉としての伝統がもっとしっかりしていたそうだ。たしかにお湯自体は湯量も豊富で、その効能も温泉病院があることに証明されるように非常に高いのは間違いない。
ただ、女将さんが半ば嘆くようにもらしたのは、ここ数10年のあいだの各旅館の跡継ぎに問題があったということである。はっきり言って「何も考えてない」のだそうだ。「それはうちを棚に上げているようにもなりますが‥」とやや自嘲ぎみに話してくれたもの事実だが‥‥。
この宿の向かい奥に『湯村ホテル』という大きな鉄筋の宿がある。そこの今のご主人は唯一非常に今後の湯村について意識的に取り組んでおり、いわば孤軍奮闘状態だいう。一例を挙げると、市街地という立地を逆に生かしてビジネス利用のお客さんに同等の料金で温泉旅館の情緒やサービスを提供する。それにより今までにない新しい客層を開拓しているという事である。
なるほどビジネス利用ならリピート利用にも繋がり易い。出張にきた時など、普通のビジネスホテルのユニットバスに浴するではなく情緒ある天然温泉に浸れるのだ。自分だってそっちの方がイイな、と思ってしまう。湯治文化云々とはちょっとかけ離れているが、素晴らしい目の付け所だといえるではないか。しばし感心してしまった。
湯村ホテルのご主人はその他様々な戦略を実践しているようだが、いかんせんあくまで孤軍奮闘であり、他の旅館の跡継ぎ達は、古い伝統に乗っかっているだけでなにも考えてないのが現状ということである。女将さんの話はまさに悲喜こもごもであった。

山梨湯村温泉16
女将さんが持ってきてくれた写真集を見る。女将さんも多少ホロ酔い状態でいろいろ説明してくれる。
今温泉病院のある場所には、千人風呂という共同浴場があったこと。(病院の建物のてっぺんは六角形のデザインになっているが、それは千人風呂を偲んだものらしい)
ここユムラ銀星は以前は銀星館といい古い歴史があること。(改築時の写真が出ていた、昭和20年代のものらしい)その他様々である。写真をみるとこの宿を含めて改めてこの地の歴史の重さを感じる。また、その歴史を継承しながらも、今後の伝統づくりに真摯に取り組んでゆかねばならない。女将さんの話の端々には、その意識の強さゆえ、情念のようなものさえ垣間見えたような気がする。

骨伝導「きくちゃん」を使って甲府の湯村温泉について、女将さんから色々と話を聞けた。ふたつの湯村温泉の音色がかなり異なる感覚を骨伝導は確かに伝えてくれたようだ。

「弘法倶楽部」(発行:国際交流センター)より引用

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。
ページ上部へ戻る