Journey and Bone Conduction Product
4.282015
東京大仏を骨で聴く 都会の喧騒に隣接する大仏と骨伝導
奈良・鎌倉に次ぐ東京大仏へ骨伝導巡礼
青銅製の鋳造大仏では、奈良・鎌倉に次ぐ日本で3番目の大きさを誇る東京大仏は板橋区にあります。
池袋から埼玉県へと延びる東武東上線と、高島平の巨大団地へと向かう都営地下鉄三田線に挟まれた地域です。埼玉県との都県境にも近く、しかも最寄り駅といえる東武東上線下赤塚駅からは徒歩25分、都営三田線西高島平駅からでも徒歩20分という不便な位置です。
そのためか、東京23区内とはいうものの都心独特の喧騒とは無縁で、のどかで落ち着いた雰囲気に包まれたエリアといえます。
この東京大仏のある寺院が乗蓮寺です。
応永年間(1394年-1427年)に了賢無的が山中村(現在の板橋区仲町)にて人々に教えを伝えるために創建したと伝えられている寺院です。
江戸時代の初期には板橋区仲宿に移転し、当時は孤雲山慶学院乗蓮寺と称していましたが、後に慶学山乗蓮寺になりました。
天正19年(1591年)に徳川家康から十石の朱印地が寄進され、その後も歴代の将軍から朱印地が与えられ格式ある寺院となりました。
今でも境内入り口の門扉には徳川家の葵のご紋があります。
昭和の時代になり、首都高速道路の建設と国道17号の拡幅工事の関係で、赤塚城二の丸跡に移転することになりました。昭和48年(1973年)です。
この城跡に移転したのが現在の場所で、山号も赤塚山となりkました。
東京大仏が建立されたのは、1977年(昭和52年)です。
関東大震災や東京大空襲など、悲惨な震災や戦災が再び起きないよう願いを込めて建立されました。
この東京大仏の製造を担当したのが浅草の仏壇店である翠雲堂でした。
その大きさは、高さが基壇が地上2メートル、蓮台2.3メートル、座高8.2メートルの計12.5メートルというものです。
またこの寺院には、国民栄誉賞を受賞した日本の冒険家・植村直己墓もあります。
1984年にマッキンリーにて消息を絶ち、未だに遺体は発見されていませんが、供養するための墓として境内にあります。
ちなみにですが、「日本三大大仏」とすると、奈良・鎌倉に次ぐものとして、この東京大仏だけなく、岐阜大仏、高岡大仏、兵庫大仏、赤田大仏などが候補に挙がるようですが、これはなぜか「三大~」が好きな日本人特有の感覚として生じた話といえます。
乗蓮寺・東京大仏のあるエリアは武蔵野台地の端に位置し、そのため地図上で見ただけではイメージできないような起伏に富んでいます。都内なので住宅地として整備されてはいますが、緑豊かな閑静な地域で、散策するのも楽しいエリアといえます。
そんな東京大仏を前に、周囲の音声を耳だけでなく骨でも聞いてみます。
米軍採用の特許技術を誇る骨伝導ヘッドセットにより、東京大仏の与えてくれるパワーを骨から脳へと伝えてくれるような気分になります。とても気持ちの良い感覚です。
米軍採用の実績のある骨伝導製品でなければ、ここまでの感覚はないでしょう。
小さな旅ですが、旅情あふれる訪問になった場所ですので、ぜひ骨伝導機器とともにお出かけすることをお勧めします。
「骨で聴く異世界」より引用
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